川越探索 蔵造りの街並み編

 

 

 川越へ行こう。

 冬休みも終盤に差し掛かり、ふとそう思い立った。かねてより噂には聞いていて、ずっと行きたいと思っていた町だ。私の家(神奈川県)から川越までは電車で二時間ほどかかるが、東京まで出られる定期券を持っていると、不思議とどこへでも行けるような気になってくるものだ。特権ともいうべきこの定期券を、学生であるうちに使わない手はないのである。

 川越本丸御殿、蔵造の街並み、時の鐘、いくつかの神社…。「川越 観光」で検索をかけるとそういったものはすぐに出てきた。着いたらまずはどこへ行こうか…。想像を膨らませながら電車に揺られ、そうして私は川越駅に降り立った。

 

 てっきり、駅を出たらすぐに蔵造の街並みが見えると思い込んでいた私は、川越駅東口にある大きなショッピングモールを目の当たりにし、拍子抜けした。地図を確認すると、どうやらクレアモールという商店街を抜けてからやっとあの古い町並みにご対面できる、というわけらしい。

 というわけで、クレアモールを歩くと、そこは都内の雰囲気と何ら変わりはなかった。ゲームセンターや複合商業施設が立ち並び、ところどころに川越の名産品を名乗る土産物屋が挟まっている。風流な琴の音をBGMにしている和菓子屋の反対側には、容赦なくゲームの音を鳴らすゲームセンターがあり、何とも言えない気持ちになる。

 クレアモールを抜けると、「大正浪漫夢通り」に差し掛かる。ここには蔵造の街並よりもいくらか西洋風の建物が並んでいた。石で作られた屋根を持ち、レトロなカタカナの看板を掲げた珈琲店など、ハイカラな店がいくつかあったが、シャッターが閉まっている店も多い。道に掲げられた正月祝いの飾り物が、寂し気に揺れていた。

 浪漫通りの突き当りを左に曲がって少し行くとまめ屋があるのだが、そこから右を見ると、その町並みは突然姿を現す。多くの車が行き交っていることを除けば、そこは江戸後期から明治あたりの街並みそのものだった。

 この手の街並みは、鎌倉の小町通りや浅草の仲見世通りのように、規模が小さく道幅も狭いうえに人通りが激しく歩きづらい…。それくらいには覚悟していたのだが、案外規模は広く、車が通るということもあって道幅は広かった。

 目についた気になる店を片っ端から物色していくと、思いがけない出会いがある。今までは点で興味がなかった和柄の風呂敷やてぬぐいが急にかわいく見え始め、別に川越の名産品というわけではないのだろうが、ついつい手が伸びてしまう。これは何という柄だろう、なんという色なのだろう…。様々、気になるところはあるが、紺地に赤い花が散った風呂敷を買って満足した。可愛ければいいのである。要はミーハーなのだ。

 それから、その店の店頭にかかっていた狐のお面がすっかり気に入ってしまって、かねてよりほしいと思っていたものだったからすぐに買うことを決めた。最初の一歩を踏み出してしまえば、あとはもうなるようになれである。さっきまでリュックにしまっていた財布をわきに抱えて歩きながら、漬物屋や玉屋の前をゆっくり歩いていく。最近漬物に興味があったが、いくつか試食してみてもこれといったものに出会えず、購入はあきらめた。

 

 そういえば、パンフレットによると、そろそろ時の鐘が鳴る時刻らしい。

 現在時の鐘は耐震工事中で決して風情があるとは言えない見た目をしていたが、ごおんという重たい鐘の響きは、確かに風流だった。一つ鳴ってから、また撞木を引いて鐘を打つまでの余韻が長く、せかせかした気持ちを「まあまあ…」となだめられるようだ。鐘の下の茶屋の川越茶を飲みながら、一息ついて、この町に来てよかったとしみじみ思った。

 現在蔵造の街並みが残る川越一帯は、明治26年の大火で焼け野原となってしまったのだが、それをきっかけに、人々は耐火性のある蔵造りの家屋を立てるようになったのだという。もともと江戸での商業を生業とする商人が多く住んでいたため、財力のある人間が多かったということもあって、蔵造りの建物を中心とした復興が進んでいった、ということらしい。

 …と、そう語ってくれたのは、川越市蔵造り資料館のおばあさん。やわらかく、流れるような語り口に、つい漫画かアニメのワンシーンに入り込んでしまったような錯覚に陥る。オルゴール調のシリアスなBGMが流れて、建物から出ると、そこは本当に明治時代の川越だった…!というような安い展開を期待したくなった。

 資料館では、当時の蔵造りの様子を中に入って見学することができる。

 どうやらこの倉は煙草の店をしていた人の蔵のようだ。当時の火消用の道具や品物を売り歩くための荷車なども展示されている。荷車は、取っ手のところの塗料が完全にはがれていて、使い込まれた木に特有の滑らかさがあった。およそ百年前にこれを握りしめて町を練り歩いていた人のことに思いを巡らせながら、建物の二階に上がると、天井が低い四角い部屋があった。特に面白いものはこれと言ってなかったのだが、畳がやわらかく、古くなっているようだったので、意味もなく座り込んだり、窓の外を眺めたりした。もしかしたら、昔ここに住んでいた人も、こんなことをしたのではないかな、と思いながら。

 

 資料館を出ても、まだまだ興味深い店は軒を連ねていて、私は後ろ髪をひかれる思いでそのあたりを足早に歩き去った。これ以上ここに長居していては、川越本丸御殿を訪れる時間が無くなってしまうからだ。冬の三時過ぎの薄暗さが一層私を急き立てる。「札の辻」とか「郭町」とかいう名前の交差点を通り過ぎて、川越本丸御殿へと向かった。