近況まとめ。

特筆するような出来事も起こらないまま、粛々と週に一度の用事をこなしてある程度人間らしく日々を過ごしていた。新しいアルバイトを始め、余暇というものを抹消する結果となったが、将来につながるアルバイトができているというだけでもしあわせに思うべきだろう。いつものように気軽に一人で見たい映画を見に行って、気が向いた友達とペルシャ料理に興じ、たまに誘われた展覧会を見に行ったり、忙しいなりに時間を作って趣味の充実に努めていた。そんな日々に変化が起きたのは、今から3週間前のことだった。

古くからの友人の誕生日を祝った帰り、中学の同級生から映画のお誘いが入った。その同級生は、中学の頃の部活が同じだった男の子で、私は彼に対して少なからず好意的だったので二つ返事で快諾した。それがことの始まりだった。最近人気のディズニー映画。わたしは見るのが二回目で、一回目は吹き替えで見たから、今回は字幕で見たいと厚かましくもわがままを言ったら、彼はそれを聞き入れてくれた。一回目には見られなかった細かい伏線やキャラの動きを楽しんだ。ディズニー特有の粋なハッピーエンドで気持ちがきらきらっとしたとき、わたしはおもわずとなりの彼を見上げて何か言おうとした。彼はわたしの声が聞こえなかったみたいで、「ん?」と聞き返しながら、わたしのシートぐっと半身を入れてきて、あろうことか無防備に膝に置いていたわたしの手に、強引そのものという力強さでもって指を絡めてきたのだ。

そんなことがあったから、その後の帰り道だって平常心で居られるはずもなく、新宿のどぎついネオンライトにうっかり間違いを犯しそうになりながら、わたしたちは手を繋いだまま帰った。今思えば、まるで片足を預けてしまったみたいに、わたしはその片方の手に依存していたのかもしれない。翌日、握るものがない留守の右手を、どうしていいかわからなくなるくらいには。

なぜか1週間後に会う約束をして、その日は別れた。まるで付き合っているカップルのようなことをしたのに、そのときわたしは彼女じゃなかった。そのまま、心地いいだけの、ただ甘やかされる女友達という地位も悪くないし、今日限りのガールフレンドだったとしても、今日が楽しかったことは確かだから、もうわたしは充分だと思っていた。

そしてその1週間後に、近所の公園で話しているときに付き合ってくださいと言われ、わたしは映画の誘いの返事をしたときのように、ごく簡単に快諾した。

ぽやっとしていた。自分でも思う。浮かれていた。でも、それでもいいやと思って、大きな手を握り返したら、やっぱり浮かれちゃうなっていうくらい幸せな気持ちが、ちょっときついアルコールみたいに身体の芯を熱くした。

今までわたしは、自分は人間だという意識で、人と交流してきたつもりだ。その交流の中でわたしは、男でも女でもなかったし、誰かのことも、男とも女とも思っていなかった。あくまで一個人として、その人を見てきたつもりだ。だけれどその日そのときの彼は紛れもなく男性で、わたしは紛れもなく、女の子だった。 

それ以降わたしは信じられないくらい可愛がられているし、大切にされている。と感じる。それも、美術品のようにガラスケースに入れて眺めるというよりは、小動物を甲斐甲斐しく世話をするように撫でて愛でてくれるのだ。わたしはこのような交際ははじめてだと伝えると、ゆっくりで大丈夫、君のペースに合わせるよ、と言ってくれた。

そんなふうにされたから、わたしは、思いつく限りの努力をしてもっと素敵な女の子になりたいと思った。心身共に放したくなくなるような、愛で尽くせないような、そんな女の子に。ああそうか、恋が女の子を変えるとはこういうことか。

少し惚気ておくと、わたしは彼がちょっと強引にことを進めようとするのが大好きだ。というのは、うまいこと恋人らしいリードをしてくれる、ということだ。付き合ってる仲じゃないとできないようなことを適切なタイミングで過不足なくやってのけてくれるし、どう甘えていいかわからないわたしに、ある程度の隙を見せてくれる。ほら、ここから入ってくればいいんだよ、というように。それで、ちょっと勇気を出してやってみると、倍返し以上で返ってくるものがある。嬉しいな、と思う。すごいな、と思う。わたしでいいのかな、と思う。ありがとう、と思う。

彼は、わたしがどうしても大好きで大好きで付き合いたくて仕方なかった男の子、というわけではない。声をかけられて振り向いたらそこにいた、くらいの存在だった。だからどこまで、いつまで付き合えるか不安だったのだが、日に日に、大丈夫だろうという根拠のない安心が増えていく。彼の言葉と、ハグと、キスとその他もろもろによって、確かに保証されていく感覚がある。

以上が、繰り返しだけの毎日に起こった特筆すべき最大にして最高の出来事である。