ちょっと京都に行ってみた

 

一人旅というのに、昔から憧れていた。小学生の頃に「黒ねこサンゴロウ」シリーズの「旅のはじまり」という本を読んでからだったと思う。一人でちょっとどきどきしながら電車に乗って、全然知らないところにぽおんと放り出されて、初めて会う人、初めて見るものばっかりで、そういうのに囲まれるのって、なんだかとてもすてきだ、とか、ぼんやり思っていた。

最初は半分妄想で、本当に行けると思っていなかった。もし行ったら、もし本当に私がそこに居たら。そういう妄想から始まった旅だった。私の計画はいつもそうで、だから頓挫することもかつては多かったのだけれど、最近はうまく現実と折り合いをつけられるようになってきたので、時間とお金さえあれば実現までこじつけることができるようになってきた。うれしいことだ。今後も生きたいように、どんどん生きていこうと思う。

 

 

青春18きっぷを利用していったので、約八時間電車に揺られてやっと京都に到着したときは、ちょっと感動した。道があれば、人間はどこにでも行けてしまうのだ。「道に立ったらしっかり立っていなくてはね。道はあなたをどこにでも連れていってしまうんだ」。そんなトールキンの言葉(指輪物語)を思い出した。

 

一日目は嵐山。京都駅から嵯峨野線嵯峨嵐山まで行く。

嵐山での目的は、竹林の小道と野宮神社、それからオンラインゲーム刀剣乱舞のコラボドリンクをいただくこと。世界一可愛い推しのため、はるばる東国からやってきましたとも。着いてすぐRANDENバルによって桜クッキーとともにいただきました。

野宮神社は、今では縁結びの神社として知られているようで、着飾った和装の女の子たちでごった返していた。私がそこの神様なら、ちょっとうんざりしてカップルの一つや二つ破局に追い込むかもしれない。この野宮神社源氏物語の舞台となった場所の一つ。女の子が「斎院(たしか賀茂神社の巫女の長的なひと?)」になる前に一年間ほど滞在して身を清める場所だった。ここが舞台になるお話は、源氏物語「賢木」の帖。

いっけな~い、殺意殺意!あたし、六条御息所!娘が斎院に選ばれたから、その付き添いとして野宮神社にやってきたの。娘の付き添い?…嘘嘘。ほんとは、これ以上、光源氏のそばに居るのがつらかったから…。そんな複雑な思いを抱えてこの神社に籠っていたのに、なんとある日その光源氏が神社に押しかけてきて…?!しかもここは男子禁制の神聖な地!こんなとこで元カレが言い寄ってくるなんて、もう、わたしほんとにどうしたらいいの?次回「禁断の☆ワンナイトパッションラブ」!おたのしみにねっ。

と。そういう話。冒頭部分は借りものですが、六条御息所は殺意という言葉がわりとしっくりくるキャラですね。

そんなふざけた紹介したけど、切ない話もあって。

斎院って帝が変わるたびに交代するのだが、もし帝が長生きしたら、斎院もずーっと神様にお仕えし続けなくてはならない。やっと任期が終わったかと思ったらもう三十路になってて、とても恋愛なんてできたもんじゃない。うら若き乙女な時代に、恋を一つも知らないで大人になって、あとは枯れていくだけなんて、本当にやりきれなかったと思う。そんな風な嘆きもきっとあっただろうな。そういうことの始まりの場所だったんだろうな。

竹林を通って天竜寺に。特に入る予定はなかったのだけど、なんとなく。花の名前を、一つ覚えました。「木瓜」読み方は、「ボケ」。こんな名前なのに、真っ赤で、かたちがきれいな花。全体的にちょっとくたびれた雰囲気がして、私は好き。嵐山を借景に取り入れた大きな庭の大きな池には、たくさんの錦鯉が泳いでいた。

私借景って大好き。西洋の庭はとことん箱庭という感じだけど、日本のほとんどの庭は山をバックにしていて開放感があって、ちょっとしたお庭を持ってるだけなのにまるで山まで全部ひとり占めしているみたいな気持ちになる。うまいこと考えたもんだ。

 

少し早いけれど、嵐山での用事は済んだので一日目の宿に行くことにした、嵐電でちょっと行ったところにある、「鹿王院」というところ。そう、寺。

部屋に通されるまで、わたしは知らなかった。その宿が相部屋で、見ず知らずの人と一夜を過ごすことになるなんて。

だってびっくりだ。長い旅だったなあ疲れたなあ、やっと一人で横になれる…って思って障子開けたら、おばあちゃんが正座してお茶飲んでるんだ。ちょっと待ってよどういうことなの、しかもめちゃくちゃ寒いし。

「あと一人、だれがくるんでしょうね」

あとひとりだと、まだくるのか。このようだと期待はできないぞ、いったい誰が来るんだ。

一日目にしてインパクトがでかい。しかもこの人、話せば話すほど思想が偏っていることがありありとうかがえる。政治や宗教のことを語りだして、挙句「私が作ったこの世ですから」などと言い始めた。ちょっと待ってくれ、中二病こじらせすぎじゃないか。と冷静に突っ込みをいれつつ、それでも半分信じたようなふりをしているうちに、だんだんこの人が怖くなって、わたしはまだ見ぬ三人目の入室者に救いを求めた。

三人目の入室者は、例の偏った思想の同室者がお風呂に入っているときにやってきた。彼女はわたしと歳が近い人で、しかもスマホが三日月宗近でコーティングされていたため、ああこれは、と思って話を振ってみると、瞬く間に表情がきらきらしだして、あっというまに仲良くなった。その人は、しかも、私が願っていた通りのまさに救世主で、精神科医のナースだったのだ。私が、ただいま入浴中の恐怖の同室者について話すと、ナースは本当にナースらしい口調で「統合失調症だと思われますね」といった。やたら宗教めいた話にすっかりおびえていた私は、それにいくらか元気づけられた。

 

翌日は七時ごろからお勤めがあるらしい。寺に泊まる醍醐味はこれだ、参加しない手はないだろう。十一時頃まであかいち推しの精神科医審神者と語らって、それから重たい布団にくるまって、眠った。