ゆく年くる年
昨年は、「初めてのことをたくさんする」という目標のもと、様々なことに手を出してきました。18切符によるひとり旅(京都編/中国地方周遊編)、御朱印集めを始めたり、美術館でのアルバイトを始めたり、ちらっとボイストレーニングに行ってみたり、モスクを見学したり。あとはアップルパイを生地から練成したり、美少年映画や漫画にどんどん手を出す中で長野まゆみさんという素敵な作家に出会えたり、うっかり雅楽を始めてしまったり。始めて中華料理を食べたり、ペルシャ料理を食べたり。そしてなんといっても、彼氏ができたり。これに関してはデートなり誕生日なり花火大会なりクリスマスなり、それはもう初めてのことがたくさんありました。おかげさまで2016年のスケジュール帳はどこもかしこもびっしりで、誇らしいです。
その反面、わたしは様々なもの、人々に謝りながらこの一年を過ごしました。いろんなことに手を出しすぎて時間が足りなくて、行事などに参加できなかったり、急に予定を変更してしまったり、ほんとうに、申し訳ないと感じる場面が多方面でありました。わたし自身は10代最後のわがままと思って、子どもでいられる最後の年だから、と、ごめんなさいと謝りつつも、どこかで自分を正当化していました。そこに関しては、深く反省しているし、改めようと思っています。
また、旅先で出会う方々、また大学やそれ以外の活動で出会う方々の、若さに対する羨望をとても強く感じた年でもありました。自分がそろそろそれを手放すときがくるから、なおさら強く感じました。若いこと以外に、何か持っていなければわたしは何にでもない人間になってしまうのではないかと怖くなったことさえあります。今でもそれはときどきちらと心に翻って、わたしを不安にさせますが。
今やらなきゃいけないと、どこか急いでいるところがありました。やっぱり、10代最後の年だというのがだいぶプレッシャーだったようです。着たい服、欲しいもの、今しか似合わないもの、できないこと、行けない場所。そういうことを、少しでも多く体験しておきたかったのでした。
ずいぶんと多くの種を蒔いた年でした。でも、どれもまだ芽を出してはいません。それらを育てるのも枯らしてしまうのも、これから送る年次第。というわけかで、わたしは今年の目標を「きわめる年」というように設定します。
今までに体験したこと、手に入れたものを磨き、深め、追求する。そのための材料はもう、昨年揃えたと思うから。あとはどう調理しようかといったところ。だから昨年よりずっと丁寧に自分を反省して、面倒がらずに、ちゃんと育てていきたいなと思います。
黄と赤
どんどん、意識が、沈んで、ゆく。
近況まとめ。
特筆するような出来事も起こらないまま、粛々と週に一度の用事をこなしてある程度人間らしく日々を過ごしていた。新しいアルバイトを始め、余暇というものを抹消する結果となったが、将来につながるアルバイトができているというだけでもしあわせに思うべきだろう。いつものように気軽に一人で見たい映画を見に行って、気が向いた友達とペルシャ料理に興じ、たまに誘われた展覧会を見に行ったり、忙しいなりに時間を作って趣味の充実に努めていた。そんな日々に変化が起きたのは、今から3週間前のことだった。
古くからの友人の誕生日を祝った帰り、中学の同級生から映画のお誘いが入った。その同級生は、中学の頃の部活が同じだった男の子で、私は彼に対して少なからず好意的だったので二つ返事で快諾した。それがことの始まりだった。最近人気のディズニー映画。わたしは見るのが二回目で、一回目は吹き替えで見たから、今回は字幕で見たいと厚かましくもわがままを言ったら、彼はそれを聞き入れてくれた。一回目には見られなかった細かい伏線やキャラの動きを楽しんだ。ディズニー特有の粋なハッピーエンドで気持ちがきらきらっとしたとき、わたしはおもわずとなりの彼を見上げて何か言おうとした。彼はわたしの声が聞こえなかったみたいで、「ん?」と聞き返しながら、わたしのシートぐっと半身を入れてきて、あろうことか無防備に膝に置いていたわたしの手に、強引そのものという力強さでもって指を絡めてきたのだ。
そんなことがあったから、その後の帰り道だって平常心で居られるはずもなく、新宿のどぎついネオンライトにうっかり間違いを犯しそうになりながら、わたしたちは手を繋いだまま帰った。今思えば、まるで片足を預けてしまったみたいに、わたしはその片方の手に依存していたのかもしれない。翌日、握るものがない留守の右手を、どうしていいかわからなくなるくらいには。
なぜか1週間後に会う約束をして、その日は別れた。まるで付き合っているカップルのようなことをしたのに、そのときわたしは彼女じゃなかった。そのまま、心地いいだけの、ただ甘やかされる女友達という地位も悪くないし、今日限りのガールフレンドだったとしても、今日が楽しかったことは確かだから、もうわたしは充分だと思っていた。
そしてその1週間後に、近所の公園で話しているときに付き合ってくださいと言われ、わたしは映画の誘いの返事をしたときのように、ごく簡単に快諾した。
ぽやっとしていた。自分でも思う。浮かれていた。でも、それでもいいやと思って、大きな手を握り返したら、やっぱり浮かれちゃうなっていうくらい幸せな気持ちが、ちょっときついアルコールみたいに身体の芯を熱くした。
今までわたしは、自分は人間だという意識で、人と交流してきたつもりだ。その交流の中でわたしは、男でも女でもなかったし、誰かのことも、男とも女とも思っていなかった。あくまで一個人として、その人を見てきたつもりだ。だけれどその日そのときの彼は紛れもなく男性で、わたしは紛れもなく、女の子だった。
それ以降わたしは信じられないくらい可愛がられているし、大切にされている。と感じる。それも、美術品のようにガラスケースに入れて眺めるというよりは、小動物を甲斐甲斐しく世話をするように撫でて愛でてくれるのだ。わたしはこのような交際ははじめてだと伝えると、ゆっくりで大丈夫、君のペースに合わせるよ、と言ってくれた。
そんなふうにされたから、わたしは、思いつく限りの努力をしてもっと素敵な女の子になりたいと思った。心身共に放したくなくなるような、愛で尽くせないような、そんな女の子に。ああそうか、恋が女の子を変えるとはこういうことか。
少し惚気ておくと、わたしは彼がちょっと強引にことを進めようとするのが大好きだ。というのは、うまいこと恋人らしいリードをしてくれる、ということだ。付き合ってる仲じゃないとできないようなことを適切なタイミングで過不足なくやってのけてくれるし、どう甘えていいかわからないわたしに、ある程度の隙を見せてくれる。ほら、ここから入ってくればいいんだよ、というように。それで、ちょっと勇気を出してやってみると、倍返し以上で返ってくるものがある。嬉しいな、と思う。すごいな、と思う。わたしでいいのかな、と思う。ありがとう、と思う。
彼は、わたしがどうしても大好きで大好きで付き合いたくて仕方なかった男の子、というわけではない。声をかけられて振り向いたらそこにいた、くらいの存在だった。だからどこまで、いつまで付き合えるか不安だったのだが、日に日に、大丈夫だろうという根拠のない安心が増えていく。彼の言葉と、ハグと、キスとその他もろもろによって、確かに保証されていく感覚がある。
以上が、繰り返しだけの毎日に起こった特筆すべき最大にして最高の出来事である。
ちょっと京都に行ってみた
一人旅というのに、昔から憧れていた。小学生の頃に「黒ねこサンゴロウ」シリーズの「旅のはじまり」という本を読んでからだったと思う。一人でちょっとどきどきしながら電車に乗って、全然知らないところにぽおんと放り出されて、初めて会う人、初めて見るものばっかりで、そういうのに囲まれるのって、なんだかとてもすてきだ、とか、ぼんやり思っていた。
最初は半分妄想で、本当に行けると思っていなかった。もし行ったら、もし本当に私がそこに居たら。そういう妄想から始まった旅だった。私の計画はいつもそうで、だから頓挫することもかつては多かったのだけれど、最近はうまく現実と折り合いをつけられるようになってきたので、時間とお金さえあれば実現までこじつけることができるようになってきた。うれしいことだ。今後も生きたいように、どんどん生きていこうと思う。
青春18きっぷを利用していったので、約八時間電車に揺られてやっと京都に到着したときは、ちょっと感動した。道があれば、人間はどこにでも行けてしまうのだ。「道に立ったらしっかり立っていなくてはね。道はあなたをどこにでも連れていってしまうんだ」。そんなトールキンの言葉(指輪物語)を思い出した。
嵐山での目的は、竹林の小道と野宮神社、それからオンラインゲーム刀剣乱舞のコラボドリンクをいただくこと。世界一可愛い推しのため、はるばる東国からやってきましたとも。着いてすぐRANDENバルによって桜クッキーとともにいただきました。
野宮神社は、今では縁結びの神社として知られているようで、着飾った和装の女の子たちでごった返していた。私がそこの神様なら、ちょっとうんざりしてカップルの一つや二つ破局に追い込むかもしれない。この野宮神社は源氏物語の舞台となった場所の一つ。女の子が「斎院(たしか賀茂神社の巫女の長的なひと?)」になる前に一年間ほど滞在して身を清める場所だった。ここが舞台になるお話は、源氏物語「賢木」の帖。
いっけな~い、殺意殺意!あたし、六条御息所!娘が斎院に選ばれたから、その付き添いとして野宮神社にやってきたの。娘の付き添い?…嘘嘘。ほんとは、これ以上、光源氏のそばに居るのがつらかったから…。そんな複雑な思いを抱えてこの神社に籠っていたのに、なんとある日その光源氏が神社に押しかけてきて…?!しかもここは男子禁制の神聖な地!こんなとこで元カレが言い寄ってくるなんて、もう、わたしほんとにどうしたらいいの?次回「禁断の☆ワンナイトパッションラブ」!おたのしみにねっ。
と。そういう話。冒頭部分は借りものですが、六条御息所は殺意という言葉がわりとしっくりくるキャラですね。
そんなふざけた紹介したけど、切ない話もあって。
斎院って帝が変わるたびに交代するのだが、もし帝が長生きしたら、斎院もずーっと神様にお仕えし続けなくてはならない。やっと任期が終わったかと思ったらもう三十路になってて、とても恋愛なんてできたもんじゃない。うら若き乙女な時代に、恋を一つも知らないで大人になって、あとは枯れていくだけなんて、本当にやりきれなかったと思う。そんな風な嘆きもきっとあっただろうな。そういうことの始まりの場所だったんだろうな。
竹林を通って天竜寺に。特に入る予定はなかったのだけど、なんとなく。花の名前を、一つ覚えました。「木瓜」読み方は、「ボケ」。こんな名前なのに、真っ赤で、かたちがきれいな花。全体的にちょっとくたびれた雰囲気がして、私は好き。嵐山を借景に取り入れた大きな庭の大きな池には、たくさんの錦鯉が泳いでいた。
私借景って大好き。西洋の庭はとことん箱庭という感じだけど、日本のほとんどの庭は山をバックにしていて開放感があって、ちょっとしたお庭を持ってるだけなのにまるで山まで全部ひとり占めしているみたいな気持ちになる。うまいこと考えたもんだ。
少し早いけれど、嵐山での用事は済んだので一日目の宿に行くことにした、嵐電でちょっと行ったところにある、「鹿王院」というところ。そう、寺。
部屋に通されるまで、わたしは知らなかった。その宿が相部屋で、見ず知らずの人と一夜を過ごすことになるなんて。
だってびっくりだ。長い旅だったなあ疲れたなあ、やっと一人で横になれる…って思って障子開けたら、おばあちゃんが正座してお茶飲んでるんだ。ちょっと待ってよどういうことなの、しかもめちゃくちゃ寒いし。
「あと一人、だれがくるんでしょうね」
あとひとりだと、まだくるのか。このようだと期待はできないぞ、いったい誰が来るんだ。
一日目にしてインパクトがでかい。しかもこの人、話せば話すほど思想が偏っていることがありありとうかがえる。政治や宗教のことを語りだして、挙句「私が作ったこの世ですから」などと言い始めた。ちょっと待ってくれ、中二病こじらせすぎじゃないか。と冷静に突っ込みをいれつつ、それでも半分信じたようなふりをしているうちに、だんだんこの人が怖くなって、わたしはまだ見ぬ三人目の入室者に救いを求めた。
三人目の入室者は、例の偏った思想の同室者がお風呂に入っているときにやってきた。彼女はわたしと歳が近い人で、しかもスマホが三日月宗近でコーティングされていたため、ああこれは、と思って話を振ってみると、瞬く間に表情がきらきらしだして、あっというまに仲良くなった。その人は、しかも、私が願っていた通りのまさに救世主で、精神科医のナースだったのだ。私が、ただいま入浴中の恐怖の同室者について話すと、ナースは本当にナースらしい口調で「統合失調症だと思われますね」といった。やたら宗教めいた話にすっかりおびえていた私は、それにいくらか元気づけられた。
翌日は七時ごろからお勤めがあるらしい。寺に泊まる醍醐味はこれだ、参加しない手はないだろう。十一時頃まであかいち推しの精神科医審神者と語らって、それから重たい布団にくるまって、眠った。
かさぶた
保健の教科書に、「精神が落ち込んだ時は、今のその感情ありのままを書き出してみると落ち着く」という記述があったので、かつてそうしてみたことがあった。しかしその結果、私の心は静まることはなく、さらなる絶望と怒りを生んだだけに過ぎなかった。自分がこうもつらいことを、私はきれいな文章で語ろうとする癖がある、大げさにしたがる癖がある。自覚していることを、さらに助長して書いてしまうことがある。
どうせ読むのは私一人なのに。
そんなことだから、私がルーズリーフに書きなぐった気持ちは、私の感情のはしっこまでかき上げられる前に、丸めて屑籠に捨てられることになった。後には苦い気持ちだけが残った。重苦しくて、どうにも立ち直れそうにないと思うほど。
あれから何年か過ぎて、私は今同じことをしようとしている。ここに全部、書き出そうとしている。状況の説明は一切しないで、ただそう思っているということがわかれば良しとしよう。それだけで、一歩踏み出すどころではなく、立ち幅跳びをしたくらいには大きく前進したことになるから。
初めて会ったのは夏で、初めて話したのも夏だった。美しく着飾った日に、あなたを独占できたというのは、どう考えても、神様のおかげとしか思えない。きらきら言葉が輝いて、あなたの語ること全部、好きだと思った。その話し方も語ることも今までにないくらい驚きに満ちていて、私はようやく、私を癒してくれる泉のような人に出会えたと思った。何もかもの始まりにありがちな、強い「興味関心」。それが一気に芽吹いて花を咲かすころ、それがちょうど夏だった。
一緒にいるとき、いつもわくわくした。なんでも楽しかった幼い頃の自分に戻ったみたいに、なんでも新鮮だった。柔らかくて、少しも曇りがない声をずっと聞いていたいと思った。ドキドキする瞬間や、心臓がきゅうっとするような瞬間は一つもなかったけれど、びっくりするようなひらめき、思わず笑いだしてしまう彼なりの持論。今まであった人の誰よりもちょうどいい温度や間合いが、心地よかった。大好きだった。ちょうどいい木陰をやっと見つけた小鳥みたいに、私はそこで休んで居たかっただけだった。
あんなにたくさんのこと、あんなに長い時間話したんだから、当然、私はあなたのそばに居られると思いこんでいた。物理的じゃなくていい、心や、精神が、あなたとわかりあっていれば、それでいい。それでよかったの。
馬鹿みたい。
何をうぬぼれていたんだろう、何を安心していたんだろう。
そんなきれいごと言って、必死になって隣にいたがったのはどうしてだろう。
余裕がないくらい、きっと、周りなんて全然見えていなかった。
かっこ悪いくらい、君がほしくて仕方なかった。
いつからそんな汚い独占欲に変わったんだろう。
私には全然わからないけど、気付いたらそうなっていた。
ばかみたい。
今まで、誰かを好きになるなんて、心が弱い人がすることだと思っていた。わたしは今まで、自分が一番好きだったから。自分のしていることが、一番心地よかったから。それに、恋をしていない人は誰だって、凛としていてかっこよかった。だから私は、誰も好きになりたくなかった。過去に一度、人を好きになって、ひどくひどく泣いたことがあるから、というのも、その一因。あんなにつらくてかっこ悪いこと、もう二度とするものかと思う。いまでも。
そういう意地とは裏腹に、気持ちは加速していく。
というか、だらしなく肥大していくといったほうが適切かもしれない。
このまま。
このままこの気持ちを一つも知られないで過ごすには、なんだかやりきれない気持ちもするが、それが一番得策かもしれない。そうできたら、どんなにいいだろうと思う。
そっと好きでいて、縁が切れたら、そっといなくなる。
「きっと、きっと。」
言い訳がましい私は言う。
「彼ってとてもすてきだから。私なんかじゃ務まらない。私よりもっと、かわいくてすてきな女の子じゃないと、彼女なんて務まらない。」
だからこのまま、見ているだけ。
気が向いたときだけ、相手をしてくれればそれでいい。
でも、このままでいられる可能性は、相当低いだろうなと、憎らしいくらい客観的にそう思っている自分がいる。
とにもかくにも、わたしの身勝手な行動で、大好きな人を失いかけていることは明白だった。これで二回目。私はまた同じようなことで、大好きな人との関係を危うくしてしまうんだろうか。またあのやりきれない気持ちが襲ってくる?こんどこそ私はきっと立ち直れない。あっけなくその波にのまれて、死んでしまうに違いない。
怖い、怖いな。
せっかく好きになったのに、君のことも、みんなのことも、人間全部、好きになれたのに、やっとそうなれたのに。
私はまた、全人類を嫌いになっていしまいそうだ。
川越探索 蔵造りの街並み編
川越へ行こう。
冬休みも終盤に差し掛かり、ふとそう思い立った。かねてより噂には聞いていて、ずっと行きたいと思っていた町だ。私の家(神奈川県)から川越までは電車で二時間ほどかかるが、東京まで出られる定期券を持っていると、不思議とどこへでも行けるような気になってくるものだ。特権ともいうべきこの定期券を、学生であるうちに使わない手はないのである。
川越本丸御殿、蔵造の街並み、時の鐘、いくつかの神社…。「川越 観光」で検索をかけるとそういったものはすぐに出てきた。着いたらまずはどこへ行こうか…。想像を膨らませながら電車に揺られ、そうして私は川越駅に降り立った。
てっきり、駅を出たらすぐに蔵造の街並みが見えると思い込んでいた私は、川越駅東口にある大きなショッピングモールを目の当たりにし、拍子抜けした。地図を確認すると、どうやらクレアモールという商店街を抜けてからやっとあの古い町並みにご対面できる、というわけらしい。
というわけで、クレアモールを歩くと、そこは都内の雰囲気と何ら変わりはなかった。ゲームセンターや複合商業施設が立ち並び、ところどころに川越の名産品を名乗る土産物屋が挟まっている。風流な琴の音をBGMにしている和菓子屋の反対側には、容赦なくゲームの音を鳴らすゲームセンターがあり、何とも言えない気持ちになる。
クレアモールを抜けると、「大正浪漫夢通り」に差し掛かる。ここには蔵造の街並よりもいくらか西洋風の建物が並んでいた。石で作られた屋根を持ち、レトロなカタカナの看板を掲げた珈琲店など、ハイカラな店がいくつかあったが、シャッターが閉まっている店も多い。道に掲げられた正月祝いの飾り物が、寂し気に揺れていた。
浪漫通りの突き当りを左に曲がって少し行くとまめ屋があるのだが、そこから右を見ると、その町並みは突然姿を現す。多くの車が行き交っていることを除けば、そこは江戸後期から明治あたりの街並みそのものだった。
この手の街並みは、鎌倉の小町通りや浅草の仲見世通りのように、規模が小さく道幅も狭いうえに人通りが激しく歩きづらい…。それくらいには覚悟していたのだが、案外規模は広く、車が通るということもあって道幅は広かった。
目についた気になる店を片っ端から物色していくと、思いがけない出会いがある。今までは点で興味がなかった和柄の風呂敷やてぬぐいが急にかわいく見え始め、別に川越の名産品というわけではないのだろうが、ついつい手が伸びてしまう。これは何という柄だろう、なんという色なのだろう…。様々、気になるところはあるが、紺地に赤い花が散った風呂敷を買って満足した。可愛ければいいのである。要はミーハーなのだ。
それから、その店の店頭にかかっていた狐のお面がすっかり気に入ってしまって、かねてよりほしいと思っていたものだったからすぐに買うことを決めた。最初の一歩を踏み出してしまえば、あとはもうなるようになれである。さっきまでリュックにしまっていた財布をわきに抱えて歩きながら、漬物屋や玉屋の前をゆっくり歩いていく。最近漬物に興味があったが、いくつか試食してみてもこれといったものに出会えず、購入はあきらめた。
そういえば、パンフレットによると、そろそろ時の鐘が鳴る時刻らしい。
現在時の鐘は耐震工事中で決して風情があるとは言えない見た目をしていたが、ごおんという重たい鐘の響きは、確かに風流だった。一つ鳴ってから、また撞木を引いて鐘を打つまでの余韻が長く、せかせかした気持ちを「まあまあ…」となだめられるようだ。鐘の下の茶屋の川越茶を飲みながら、一息ついて、この町に来てよかったとしみじみ思った。
現在蔵造の街並みが残る川越一帯は、明治26年の大火で焼け野原となってしまったのだが、それをきっかけに、人々は耐火性のある蔵造りの家屋を立てるようになったのだという。もともと江戸での商業を生業とする商人が多く住んでいたため、財力のある人間が多かったということもあって、蔵造りの建物を中心とした復興が進んでいった、ということらしい。
…と、そう語ってくれたのは、川越市蔵造り資料館のおばあさん。やわらかく、流れるような語り口に、つい漫画かアニメのワンシーンに入り込んでしまったような錯覚に陥る。オルゴール調のシリアスなBGMが流れて、建物から出ると、そこは本当に明治時代の川越だった…!というような安い展開を期待したくなった。
資料館では、当時の蔵造りの様子を中に入って見学することができる。
どうやらこの倉は煙草の店をしていた人の蔵のようだ。当時の火消用の道具や品物を売り歩くための荷車なども展示されている。荷車は、取っ手のところの塗料が完全にはがれていて、使い込まれた木に特有の滑らかさがあった。およそ百年前にこれを握りしめて町を練り歩いていた人のことに思いを巡らせながら、建物の二階に上がると、天井が低い四角い部屋があった。特に面白いものはこれと言ってなかったのだが、畳がやわらかく、古くなっているようだったので、意味もなく座り込んだり、窓の外を眺めたりした。もしかしたら、昔ここに住んでいた人も、こんなことをしたのではないかな、と思いながら。
資料館を出ても、まだまだ興味深い店は軒を連ねていて、私は後ろ髪をひかれる思いでそのあたりを足早に歩き去った。これ以上ここに長居していては、川越本丸御殿を訪れる時間が無くなってしまうからだ。冬の三時過ぎの薄暗さが一層私を急き立てる。「札の辻」とか「郭町」とかいう名前の交差点を通り過ぎて、川越本丸御殿へと向かった。
MOCHA(3)
うしろから、混乱して立ち尽くすわたしを呼ぶ声がした。
「モカ…。モカだよね?」
おじいさんより若い声。振り向くと、そこにはアルバイトの男の子がびっくりした顔で突っ立っていた。
「まさかほんとに…戻ってくるなんて」
戻ってくるに決まっているでしょう。帰巣本能って、知ってる?
そんなことより、おじいさんはどこに行ったの。ここでないとすれば、どこにいるの?
「頼まれていたんだ。マスターに。モカを見かけたら、拾って育ててほしいって…」
男の子のひょいと抱き上げられたわたしは、そのまま彼の胸の中にすっぽりと納まった。家のにおいがする。どこか遠くの、暖かい巣の匂い守られていて、穏やかで、ついうとうとっとしてしまうような、巣の匂い。そんな、夢の匂いがする。
「マスターの店、継ぐことになってね。店は東口に移転することにしたんだ。モカもおいでよ。全席禁煙にしたから、もうあんなひどい死に方をすることもないよ…」
確かに、彼の服からはかすかにコーヒーの匂いがした。
…ひどい死に方ってなに?
わたし、幸せだったわよ。生きているうちの一番美しい姿だけ愛でてもらえて。
それにわたし、煙草の匂いが混ざっていないと、喫茶店という感じがしないの。
わたしは彼の腕の中で、夢中で体をよじって、こぼれるようにそこから逃げ出した。
彼は地面に降りた私を見下ろして笑った。駄々っ子に呆れたような目だった。
「しょうがないなあ、こっちだよ!」
男の子は速足で歩いていく。わたしは彼にぴったりくっついて歩いた。
連れていかれた先は、大きな病院だった。彼はだまって私を抱き上げると、トレーナーの中にわたしを詰め込んだ。耳が折れて、ひどい格好に尻尾が折れ曲がって、本当に不快で思わずうなるほどだった。けど、仕方ないことは猫のわたしにもよくわかったから、毛も逆立てず、出さず、耐えに耐えて、耐え抜いた。
彼が急いでくれているのは、彼の歩くリズムで分かった。
「マスター」
彼が立ち止まって、そう言ったのが聞こえた。
「連れてきました。どうしても、来たいと言ってるので」
答える声はなかった。
トレーナーから出されたわたしは、ぱちぱちっと瞬きして、あたりを見回した。つんと鼻に来る薬品の匂いと、ゆっくりと一定のリズムを刻む電子音が聞こえた。シーツもカーテンも真っ白で…その真っ白の中に、おじいさんがいた。目を閉じて、横たわっていた。口がマスクで覆われていて、苦しそう。これじゃあ、コーヒーも飲めないし、煙草だって吸えない。わたしとおじいさんの、一番幸せだった時間はすっかり消え去って、そしてもう戻ってこないのだ。
わたしは体を伸ばして、おじいさんの膝のあたりに降りた。
アルバイトの男の子は、何も言わず、それをみていた。本当は猫がここに来てはいけないことくらいわかっているはずなのに。
おじいさん、わたし、あなたのことなにもしらない、名前だって知らないけど、とても好きだった。大好きだった。
わたしもすぐに死ぬね。うん、だって何度も死んでいるんだもの、今回だけ長く生きてあなたを待たせるようなことはきっとしない。
わたしはいつもしていたようにおじいさんの膝の上に丸くなって目を閉じた。
「モカ…」
かすれた声で名前が呼ばれた気がした。
夢だったのかもしれない。
わたしは顔を上げておじいさんの顔をじっと見つめた。そうしたら、おじいさんはしわがいっぱいたたまれた顔をほころばせて、わたしを見つめ返していた。
「モカだ…」
ずしん、と背中に重みがあった。
おじいさんの手。かつては毛布よりもあたたかかったその手は、今日は冷たかった。鉛のような、灰色のような重さと冷たさだ。
でも、ぱちりと見つめ合った視線の、なんとあったかいことだろう。
「くたびれた人生の匂いがするね」
湿った風がカーテンをゆらすと、それまで控えめになっていたバラード調の電子音が、オルゴールが演奏をやめるときのようにそっと鳴りやんだ。
おわり